Monthly Archives: 3月 2014

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優歌(ゆうか)22歳 元AV女優 その1

しっかり稼いでさっさと辞める。それで、やりたい仕事をすればいい。


22歳。埼玉県出身。姉一人。高校在学中に援助交際を経験。卒業後はAV女優に。姉は短大卒業後、ヘルス嬢に。友人の紹介で知り合った彼と都内で同棲中。将来一緒にアロマショップを開くのが夢。

yuka1 優歌 AV女優をやっていた期間は四ヶ月。二十本近い作品に出演していた。一年前にはやめていたが、家族や友達など周囲の人間には絶対に隠しておきたかった。しかし、いつかはこんな日がくるかもしれない。彼にだけは自分から話そうって思ってました。

一つ年上の彼とは、三年前に友達の紹介で知り合った。専門学校に通う素朴な青年だ。バレた原因は、優歌の左腕の付け根に小さく刻まれたタトゥーだった。紫のラベンダーの花。それも緑も含めてメイクではけしきれない濃さだった。彼の友人が「あれ?優歌ちゃんに似てる女優だな」とレンタル店でみつけたビデオを借り、家でみてその「印」を確認した。この話はすぐに彼に伝わった。

優歌 彼は泣きながら「出たんでしょ?」って言うから、「出ました」って認めて、私もないちゃった。「ごめんね、ほんとごめんね」って。私、嘘ついてたわけだから「こんな女、ふっちゃいなよ」って言ったら、彼が「考えさせて」って。

ざえもん AV女優になってどんな事を感じていたの?

優歌 撮影現場に行っても、初めてのスタッフの人たちには、「君、メイクさん?」とかって言われちゃうんです。女優には見えないみたい。

ざえもん 風俗店とかは興味なかったの?

優歌 地元は埼玉の田舎なんですけど、大宮とか大きな街でキャバ嬢やりたかったんですよ。でも、友達の先輩に水商売や風俗に関わってる人がいて、「早くお金が欲しいんだったらAVやんなよ」って言われて。で、高校卒業したら、すぐにAV事務所に行ったんです。

ざえもん AV女優を体験してどうだった?

優歌 ああ、こんなもんなのかーって感じ。抵抗はなかったですね。AVってあんまり見たことなかったけど、紹介してくれた人とかから、何をどうするのかは聞いてたし。

ざえもん 一回の出演でどれくらいもらえたの?

優歌 初の日給は15万円。二十歳を超えて間もなかったけど手取りは破格だったと思います。おいしい仕事でした。

 

 

 

春香 40歳元ヘルス、デートクラブ その8

ざえもん ヘルスやデートクラブに勤めて、セックス観と社会観って変わった?

春香 セックスがお金になる場所が、こんなにしっかりあるんだってことが不思議で驚いた(笑)。ヘルスでは店をかまえて、セックスに準じることをする小部屋がキチンと並んでいて職場として成立している。デートクラブで使うラブホも、七割がたが風俗営業で行われている。どっちもビジネスとして成り立っているし、セックスってこんない大っぴらなものなんだって実感したんですよー。でも、未だに表社会ではない。コソコソ、ヒソヒソやるもんで。そのギャップも面白いですね。

ざえもん 風俗を卒業して、数年経って、罪悪感はなかったの?

春香 あんまりないです。世の中にちゃんと存在してるのに隠さなきゃいけないっていう二重構造が、私にはまだ理解できないの。だから医者の道でもコケたんだと思うんだけど。バレないようにした方がいい、とは思うんだけど、罪悪感は残ってないんですよ。でも、旦那とは、今でもたまに風俗の話になるんだけど、あれは私にとって「仕事」だった。でも、旦那は「お前は俺とくらしていてセックスして、同じ時期にデートクラブに入ってホテルとかに出張してたんだろう?」って。まだ思い出すと嫌な気持ちになるみたいね。「お前は、どう感じてた」とか聞かれて、「別に、生活のためだもん」って。どうしても自分が悪いことをしたとは思えないんでね。

ざえもん 旦那さんとはうまくいってるの?

春香 旦那が私のことを女としてみられなくなってきたんでしょうね。いくら生活のためとはいっても、風俗で働く妻を見続けてきたわけですから。私が風俗をあがったのに、この頃夫婦のセックスがガタンと減って。私は思春期からセックスに興味を持っていてい、それを仕事とする世界に何度か出入りして、やっぱり普通の主婦生活をするには、入ってはいけないところだtったんでしょうかね。

春香 40歳元ヘルス、デートクラブ その7

ざえもん あまり負担をかけまいという大学側の配慮だったんだね。

春香 親に似たのかなあ?プライドだけは高かったんですね(笑)。自分には、まともな役割がない、この先どうなるんだろうと思い詰めていって、拒食症がひどくなっていったんです。服用していた精神安定剤も効かなくたって、今度は一年半も休んだんですよ。こんなに仕事を休む医者、私以外にはあんまりいなかったんじゃないかなあ(笑)。それでテレクラに走って、旦那つかまえて、センターを退職しました。

ざえもん お子さんがいるとのことだけど、どんな感じで二人で養っていったの?

春香 旦那の稼ぎだけじゃ厳しくなって、大学時代のつてを頼って町の内科医院に勤め始めました。夜はヘルスで半年働き、夫にバレてから、こっそりとデートクラブで稼ぎだしました。旦那には夜は残業とか言ってたんですけど。夫には仕事を辞めてもらって、主婦業に専念させました。だって悪いけど、「あんたじゃ、この家を養っていけないでしょ」って。ホントのことだから黙っちゃった。下の娘が生まれてからは尚更ですよ。家のローンも残っているし。娘たちに、本にしても音楽にしても質のいい環境を整えてあげたかったんです。母親が私にしてくれたように。なんか、そっくりな親子ですよね。似すぎていたから嫌いだったんじゃないかな?でもね、子供たちは無条件で私のことを好きでいてくれる。私は母親を反面教師として、自分の親子関係をつくろうとしてる。母親に感謝しなくちゃいけないですよね。

ざえもん 少しずつたくましくなってるよね。母は強し!

春香 旦那が、すごくノンキな人で。私の風俗勤めを知った時には混乱してましたが、何日かするとケロッとして、淡々と過ごしているんです。何が起きてもそう。デートクラブのことは、私から旦那に話したんだけど、全く同じ反応でしたね(笑)。「しんぱいでしょう?」って私が言うと、ソワソワ家の中を歩き回ったりするんですけど、テレビを見ているうちに忘れちゃう。翌日からまた淡々と進んでいける、ポジティブな人なんです。私にとっても、そういう彼の面がすごくプラスになってる。あと、やっぱり子供たちの笑顔ですよね。自分が母親として適格なのか、彼女たちに嫌われていないか、頭の中をよぎることもあるけど、「すいう不安をもっちゃいけない」って自分に言い聞かせて。娘たちの顔を見るだけど不安も吹き飛ぶし、私をすごく前向きな人間にしてくれたんですね。

春香 40歳元ヘルス、デートクラブ その6

春香 二十代のころはひどかった。テレクラ遊びにハマって、数え切れない人とセックスして、妊娠しました。ほとんど避妊はせず、誰の子供かも知る由もなかった。あった相手の電話番号をすぐに消しちゃってたんです。かろうじて二人だけ残ってた。そのうちの一人がすっ飛んで来てくれたんです。電話で私が「あなのこ子供ではないし、あなたは何も責任をもつ必要はないの。だけど、わたしは今とても弱っていて、中絶がおわってからせめて一ヶ月くらいの間、そばにいて欲しいんだ。一ヶ月経ったら別れてもらって全然かまわないから」って。いい人なんですね。で、病院とかついててもらって、それからホントに付き合いだしたんです。それが今の旦那です。

ざえもん ひどかった二十代の中、唯一の宝物に出会えたんだね。学校は無事卒業できてたの?

春香 結婚からさかのぼって四年前、医大に六年通って卒業しましたよ。附属病院で研修医としてスタートを切りました。最もキツイといわれる外科医から始まって、総合病院の各科を経験するはずだった。でも、救命救急科の当直の時、手術代に乗った患者さんのお腹が、メスで引き裂かれたんですですね。ふと、「この中に注射針をいれたら事件にな」って衝動的に思ったんですよ。やっちゃあいけない、やっちゃあいけないと自分に言い聞かせていたら目の前が真っ白になってその場に倒れたんです。当直っていっても、日勤からぶっ通しの時も多いし、たまの休日に「急患だ」って呼び出されたり。もともと、なりたくてなった職業じゃないし、使命感もない。ただ、親から離れたかっただけですから。持病の拒食症もストレスで、どんどん悪化していたんです。

ざえもん 医者の初期はハードで辞めていく人も多いって聞くよ。

春香 そうなんです。そして翌日から仕事を休んだんです。部屋の布団にくるまる日が続き、やがて拒食症の治療を受けようと、近くの心療内科に患者として通い始めた。十ヶ月が経ち、症状が落ち着いた頃、担当教授に「心療内科」と頼み込んだんです。願いが叶って、研修に戻ったものの、気がつけばもっと重賞な拒食症の患者とも向きあうことになりました。死にそうなほどガリガリの患者さんとかもいて。自分もこうなるんじゃないかって不安で不安で。半年位はなんとか続けたんだけど、また、休んじゃった。今度は大学側も真剣に考えてくれたんでしょうね。四ヶ月後に私が復帰した時、地域の健康医療センターの仕事に就かせたんです。

 

春香 40歳元ヘルス、デートクラブ その5

キーボード欲しさにピンサロへ 抵抗はなかった・・・


haruka2ざえもん 女子高の全寮制かあ。男子との交流が少ない(もしくは皆無)な環境だね、風俗の世界にはどうやって入ったの。

春香 自分の中にある性的な面をどう解放し、そだてていくのか分からなかった。もう、その頃は体がセックスを欲しがってたんですね。精神面が追いついていなかったの。初めての時は、「なーんだ、こんなもんか」って思いましたね。期待が大きすぎたのかな(笑)。二番目の彼とは本気で付き合ってたんで、別れたあと、心の中でブチッと何かが切れる音がしたんです。自爆自棄になって夜の繁華街を飲み歩いて、おじさんたちに引っかかっては輪姦されたり。でも、いくらでも逃げられたところを、逃げなかった私も私ですから(笑)。

ざえもん そこが引き金になって風俗に興味を持ち始めたと。

春香 そうなんです。大学四年、二十一歳の時、ピンクサロンに行きました。医療現場の実習は次第にストレスを感じて、拒食症も治る気配がありませんでした。十分の中で何かを壊したかったのかもしれません。そして、母親の影響で好きになったピアノを寮には置けなかったので、小ぶりのキーボードが欲しかった。七万円だった。

ざえもん ピンサロって何をやるとこか知ってたの?

春香 いいえ。おさわりバーみたいかなって。お酒飲んで、触られて、キャアキャア言ってればいいのかな、と思ったんです。また、そこのマネージャーってのがいい加減で。「座ってニコニコしてればいいよ。なんいもお仕事しなくていいから」って言われて。周りの女の子達がやってることを横目で見ながら、真似してたって感じです。初日で五万円、二日目も三、四万はもらえたけど、二日で辞めちゃったんです。

ざえもん 回りの女の子がやってることに抵抗を覚えず、二日でそれだけ稼げるなら、なぜ続けなかったの?

春香 学校の実習で、もっとグロいの見てましたし、土壇場で度胸が据わる方なんですよ。ええ。それがすごく恥ずかしいことだって、よくわかってなかったんだけど(笑)。店の女の子たちは私と違って、どこかとても悪いことをしている、世の中に申し訳ないって感じでコソコソ勤めてるのを見て、あ、ここはそういう場所なんだって思ったんです。ホントにこんなに沢山の人が働いているのにも関わらず、いてはいけない場所なんだって。でもね、来た以上は、こんところでオタオタしてたら自分がみっともないと思って。こういう世界がホントにあるんだから、自分はビクビクしたくない。だからサービスをイヤだとは、あまり思わなかったですね。ソープってのはしってましたけど。ピンサロみたいに中途半端な射精産業はしらなかったから。知った時は、ワッーって衝撃でしたね。もう特に買いたいものもないし、これで十分かなって、辞めちゃいました。