春香 40歳元ヘルス、デートクラブ その6

春香 二十代のころはひどかった。テレクラ遊びにハマって、数え切れない人とセックスして、妊娠しました。ほとんど避妊はせず、誰の子供かも知る由もなかった。あった相手の電話番号をすぐに消しちゃってたんです。かろうじて二人だけ残ってた。そのうちの一人がすっ飛んで来てくれたんです。電話で私が「あなのこ子供ではないし、あなたは何も責任をもつ必要はないの。だけど、わたしは今とても弱っていて、中絶がおわってからせめて一ヶ月くらいの間、そばにいて欲しいんだ。一ヶ月経ったら別れてもらって全然かまわないから」って。いい人なんですね。で、病院とかついててもらって、それからホントに付き合いだしたんです。それが今の旦那です。

ざえもん ひどかった二十代の中、唯一の宝物に出会えたんだね。学校は無事卒業できてたの?

春香 結婚からさかのぼって四年前、医大に六年通って卒業しましたよ。附属病院で研修医としてスタートを切りました。最もキツイといわれる外科医から始まって、総合病院の各科を経験するはずだった。でも、救命救急科の当直の時、手術代に乗った患者さんのお腹が、メスで引き裂かれたんですですね。ふと、「この中に注射針をいれたら事件にな」って衝動的に思ったんですよ。やっちゃあいけない、やっちゃあいけないと自分に言い聞かせていたら目の前が真っ白になってその場に倒れたんです。当直っていっても、日勤からぶっ通しの時も多いし、たまの休日に「急患だ」って呼び出されたり。もともと、なりたくてなった職業じゃないし、使命感もない。ただ、親から離れたかっただけですから。持病の拒食症もストレスで、どんどん悪化していたんです。

ざえもん 医者の初期はハードで辞めていく人も多いって聞くよ。

春香 そうなんです。そして翌日から仕事を休んだんです。部屋の布団にくるまる日が続き、やがて拒食症の治療を受けようと、近くの心療内科に患者として通い始めた。十ヶ月が経ち、症状が落ち着いた頃、担当教授に「心療内科」と頼み込んだんです。願いが叶って、研修に戻ったものの、気がつけばもっと重賞な拒食症の患者とも向きあうことになりました。死にそうなほどガリガリの患者さんとかもいて。自分もこうなるんじゃないかって不安で不安で。半年位はなんとか続けたんだけど、また、休んじゃった。今度は大学側も真剣に考えてくれたんでしょうね。四ヶ月後に私が復帰した時、地域の健康医療センターの仕事に就かせたんです。

 

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